面接官「特技はモヤとありますが?」
最近、足立区の議員さんが、
「普通の結婚をして、普通に子どもを産んで、普通に子どもを育てることがいかに人間にとって大切なことであるか。子どもを育てることは経済的社会的に大変かもしれないが、本当にすばらしいことなんだ。そのことを教育の場でしっかり教えないと」
と発言したことで物議を醸しておりますが…。
そもそも「普通」って何!?
普通に結婚して、普通に子どもを育てるということが普通なのか。
だとしたら、夫に浮気されて別居してる私は、もう既に普通ではないわけで
浮気されても我慢して、仮面夫婦を続けてくらしていくことが彼の言う「普通」なんだろうか。
でも「結婚して子どもを育てた人が普通」という定義になってしまうと、その定義に縛られた真面目な人は頑張り過ぎて無理してしまう結果になるのでは?とも思う。
普通なんて定義は人それぞれなわけで、それを人に押し付けるのはどうなのかな。
でも、この区議さんが言う「普通の定義」は、日本人の大半が内心思っている定義なんだと思う。
私もこの「普通」にけっこう縛られてるんじゃないかな。
世間に「普通の家庭」と思われたいがために、努力してる部分は多々ある。
例えば、自治会の行事に行きたくもないのに参加したり、別居してることを近所の誰にも言ってなかったり
…普通って難しい。
そして、話題の国会議員さんの発言、
「LGBTのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がないのです」
というもの。
生産性って何だ?
子どもを産み育てることが、その人のいう「生産性」に当たるのか。
人間をモノ扱い家畜扱いされてるみたいで不快である。
この方は、LGBTの為に税金を使うのはどうか、と言ってるわけですが。
LGBTの方だって、税金を払ってるわけだし。
その人達の為に使って、何が悪いのか。
人はみな平等なんじゃないの?
昔の人って、年頃になると親が勝手に結婚相手を決めたり、積極的に見合いをさせたりなんかしてたので、生涯独身の人というのは少なかったかもしれない。
実際、うちの実家の親戚はみんなそんな感じである。
そんな中、うちの両親だけが恋愛結婚だった
叔母の言うには、「恋愛結婚なんて当時は珍しい」ことらしいので、恋愛よりも家同士の繋がりを重視した結婚が主だったのかもしれず。
だけど私の世代では、そんなことはなくなり、同級生でも結婚していない人はけっこういる。
離婚して独身に戻ってる人も。
でも昔は、一旦結婚したら簡単には離婚できなかったんだろうな。
でも今の時代、独身の人はたくさんいるじゃん。
じゃあ、その独身の人達は普通じゃないわけ?
子どもを産まないと決めた人や、いろんな事情がある人もいるのに。
子どもがいなかったら生産性がないと見なされ、軽視されちゃうわけ?
…なんか腹立つ。
それって差別なんじゃないの?
でも、時代は常に変化しているわけで、多様性という言葉もあるように、狭い範囲の「普通」に囚われるのには気分が悪い。
金子みすゞも言ってるじゃん、「みんなちがって、みんないい」って。
人によって「幸せの定義」や「普通」は違うんだよね。
私も数年前までは、結婚して結婚相手と添い遂げることが幸せだと思ってたけど。
こんなことになった今、果たしてそれが私の幸せだったのかなと思い直すようになってきた。
1人は寂しいけど、自由でいいじゃんって今は思う。
でもそれは私の思う幸せであり、人によって結婚が幸せだって思う人もいるんだから、それぞれの考えを多様性として認めてほしいと思う。
税金だけ払わせといて、身勝手な「普通」を人に押し付けないでほしいと思う。
なんか今朝は小難しい話ばっかしてしまって申し訳ないです。
ダイエットとモヤの意外な共通点
最近、足立区の議員さんが、
「普通の結婚をして、普通に子どもを産んで、普通に子どもを育てることがいかに人間にとって大切なことであるか。子どもを育てることは経済的社会的に大変かもしれないが、本当にすばらしいことなんだ。そのことを教育の場でしっかり教えないと」
と発言したことで物議を醸しておりますが…。
そもそも「普通」って何!?
普通に結婚して、普通に子どもを育てるということが普通なのか。
だとしたら、夫に浮気されて別居してる私は、もう既に普通ではないわけで
浮気されても我慢して、仮面夫婦を続けてくらしていくことが彼の言う「普通」なんだろうか。
でも「結婚して子どもを育てた人が普通」という定義になってしまうと、その定義に縛られた真面目な人は頑張り過ぎて無理してしまう結果になるのでは?とも思う。
普通なんて定義は人それぞれなわけで、それを人に押し付けるのはどうなのかな。
でも、この区議さんが言う「普通の定義」は、日本人の大半が内心思っている定義なんだと思う。
私もこの「普通」にけっこう縛られてるんじゃないかな。
世間に「普通の家庭」と思われたいがために、努力してる部分は多々ある。
例えば、自治会の行事に行きたくもないのに参加したり、別居してることを近所の誰にも言ってなかったり
…普通って難しい。
そして、話題の国会議員さんの発言、
「LGBTのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がないのです」
というもの。
生産性って何だ?
子どもを産み育てることが、その人のいう「生産性」に当たるのか。
人間をモノ扱い家畜扱いされてるみたいで不快である。
この方は、LGBTの為に税金を使うのはどうか、と言ってるわけですが。
LGBTの方だって、税金を払ってるわけだし。
その人達の為に使って、何が悪いのか。
人はみな平等なんじゃないの?
昔の人って、年頃になると親が勝手に結婚相手を決めたり、積極的に見合いをさせたりなんかしてたので、生涯独身の人というのは少なかったかもしれない。
実際、うちの実家の親戚はみんなそんな感じである。
そんな中、うちの両親だけが恋愛結婚だった
叔母の言うには、「恋愛結婚なんて当時は珍しい」ことらしいので、恋愛よりも家同士の繋がりを重視した結婚が主だったのかもしれず。
だけど私の世代では、そんなことはなくなり、同級生でも結婚していない人はけっこういる。
離婚して独身に戻ってる人も。
でも昔は、一旦結婚したら簡単には離婚できなかったんだろうな。
でも今の時代、独身の人はたくさんいるじゃん。
じゃあ、その独身の人達は普通じゃないわけ?
子どもを産まないと決めた人や、いろんな事情がある人もいるのに。
子どもがいなかったら生産性がないと見なされ、軽視されちゃうわけ?
…なんか腹立つ。
それって差別なんじゃないの?
でも、時代は常に変化しているわけで、多様性という言葉もあるように、狭い範囲の「普通」に囚われるのには気分が悪い。
金子みすゞも言ってるじゃん、「みんなちがって、みんないい」って。
人によって「幸せの定義」や「普通」は違うんだよね。
私も数年前までは、結婚して結婚相手と添い遂げることが幸せだと思ってたけど。
こんなことになった今、果たしてそれが私の幸せだったのかなと思い直すようになってきた。
1人は寂しいけど、自由でいいじゃんって今は思う。
でもそれは私の思う幸せであり、人によって結婚が幸せだって思う人もいるんだから、それぞれの考えを多様性として認めてほしいと思う。
税金だけ払わせといて、身勝手な「普通」を人に押し付けないでほしいと思う。
なんか今朝は小難しい話ばっかしてしまって申し訳ないです。