麒麟がくる それ、さがしにいこうか
花フェスタ記念公園 明智光秀博覧会 番外編 明智城跡
花フェスタ記念公園を跡にして
最後に行った場所は、
車で5分の所で着いた有名な城跡。
(ぎふ可児大河ドラマ館より、徒歩約25分。)
明智城跡です。
岐阜県可児市瀬田長山にあるから
長山城とも呼ばれます。
明智光秀の叔父光安・光久が
城主であった時、
稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受けて
落城した事で有名です。
その明智城発掘図には、
どういう方策で対応したのか
何となく解ります。
大河ドラマ「麒麟がくる」で
話題沸騰中ですから
行かなきゃ!?みたいな!?![]()
明智光秀の生誕の地。
光秀が落城するまでの
約30年間を過ごしたとされる明智城は、
自然の地形を生かした
典型的な中世の山城です。
明智城跡は、
登山口から本丸跡まで続く
「桔梗坂」がおすすめルートです。
この登山口付近は
5月中旬~9月頃に
地元の小中学生の発案で植えられたと言う
桔梗の花が咲き誇ります。
つまり、
明智光秀の家紋「水色桔梗」が
咲いていましたから
滅茶苦茶嬉しいでしょうね。![]()
桔梗坂を歩き始めると、
大手口跡の少し手前に
「明智城跡」の案内看板があります。
この明智城跡は
1342年に美濃源氏の流れをくむ
土岐頼兼が「明智」と改名し
城を築いたことに始まります。
その子孫が代々の居城としたと
伝わっています。
その一族が土岐明智氏、
すなわち明智光秀の一族と
考えられているのです。![]()
明智光秀ですが、
1528年に可児郡明智荘で生まれ、
早くに父を失います。
その後は
叔父の明智光安のもとで、
ここ明智城で暮らしたと
『美濃国諸旧記』に記されています。![]()
ちなみに、
明智荘ですが、
可児市北東部から御嵩町にかけて
「明智荘」という荘園が
存在していました。
たぶん・・・
武士の館跡が存在していたのかも
知れませんね。
では、
他にもいろいろ
見る場所がありますが、
渋滞が気になりますので
車で帰りましょうかね。
(^^)
みかんの白い部分、とる?とらない?
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麒麟がくる大集合。マニア情報を集めました。
~続き~
無事に荷物を積んで会社に戻ったのが22:30頃でした。
もうこの時には右肩は動かさなくても激痛状態でした。
帰宅したのが23:00頃。
《麒麟がくる》
を見ながら、何とかお箸を持って晩御飯を頂き、マイスリーを服用して
0:30頃就寝しました。
頭の中は不安だらけ
【明日は5:00起き。完全に寝不足… 好中球の数をパス出来ても抗がん剤が耐えられるかどうか… しかもそのあと造影CT。右肩…】
CTを撮ったことがある方ならご存じだと思いますが、撮影時は両腕を…。
この状態であんな事。
出来るわけがない![]()
柏インターの渋滞も考慮していつもより早く出発。
運転中も左手でハンドルを持ち、右肩をストレッチし続けましたが効果なし。
病院到着はいつも通り8:00でした。
相変わらず肩は痛い…。
次の日(今日ですね)が国民の祝日でしたので混んでいました。
と言ってもいつもより少し多いかな?程度でしたが。
診察室にも早く呼んで頂けました。
まず初めに
『どうですか?』
と先生は聞いて下さいます。
「寝違えたのかも知れませんが、右肩が痛いんです。その他の痛みは全くありません。」
言った後に気付きました
多分、と言うか全く癌とは関係が無いと思われるこの症状…すいません先生…。
『そうですか。続くようなら言って下さいね
』
と優しく対応して下さいました。
血液検査の結果も
『好中球・血小板・栄養状態問題ありません。今日抗がん剤しましょう』
と言って頂けました![]()
![]()
診察室を出てから看護師さんが、お忙しい中わざわざ来て下さって
『体の痛み、困っている事』など本当に丁寧に聞いて下さいました。
いつも思いますが
こちらの病院で働いておられる看護師さん、
皆様 天使(天の使い)ですか…??
今まで約一年間、(入院している時も含めて)
そうではない人に出会ったことがありません。
感謝してもしきれません。
いつも本当にありがとうございます。
今回も通院治療センター(ケモ)の受付で
『リクライニングかベッドか』
聞いて下さいました。
正直、弱い自分に負けて
『ベッドで…』と言いかけましたが…
『どちらでも空いている方で大丈夫です。』
寝不足は仕事のせいです。
それも責任者の自分の責任。
病気とは関係ありません。
ベッドは病気の症状で辛い方へ優先されるべきです。
『20~30分待ちになります』
早い…。
血液検査の結果を妻に電話で報告をしてすぐに、呼び出し機が鳴りました。
《○○さん、今日は〇番のお部屋になります》
・・・
〇番はベッドです![]()
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奇跡…。
~続く~