いや、てか、ばんたんが、そうですよね。
なんで、気付かなかったかなぁ
彼らは、なんだか最初から試練ばかりが降ってくる人達だなぁと、ずっと思っていたのに。
でも、彼らは、それを努力と結束力で乗り越えた。
きっと、彼らを好きになったのは、それも理由だったんだろうなぁと思う。
ピンチはチャンスだ。
ピンチはチャンスだとすれば、試練が巡ってくる度、それをちゃんと乗り越えているのならば、それはすべて、成長の糧になるはず。
私にも、いくつもの試練が訪れた。
「波乱万丈な人生」というのは、実は、そういう意味なのだと思う。
これは神様からのチャンスだった。人間として成長するための、チャンスだった。
それに、昨日、気が付いた
おそ
図らずも、一昨日、54歳になったところだ。
二度めの誕生日としてもいいかもしれない
私は自分の人生を悲観して生きてきた。
陰にばかり落ちて。
なぜ私ばかりが、こんな目にあうのかと。
でも、今回こうやっていろんなことが分かって。
あの人たちは、どこまで行っても、私には試練だったとも思った。
それは、いつまでも、私が、あの人たちを...過去を、乗り越えられなかったからだ。
いつまでも、あの人たちを、「私の試練」と位置付けていたのは、私自身だった。
昨日のブログで、叔父の話しに少し触れた。
叔父は、結婚した人と一緒に、とある宗教にハマってしまって。
小さな頃、叔父が帰省してくる、お盆と正月だけが、私の一年で二度だけの、助けの時間だった。
表だってなにかをしてくれるわけではなかったけれど、それでも、優しくて優しくて。
帰省した時は、いつも、側にいてくれた。それだけで、姉達も何もできなかったから、それだけでよかった。
唯一の砂漠のオアシスだった叔父が、結婚して数年してから「きゃらを救わなければいけない!きゃらのために、この家を良くしなきゃ!」と言い始め...。
私が、「あの家の跡継ぎになれば、それでこの家は救われるんだ」と言われ。「養子を取って、跡継ぎになれ」と、ある日突然言われた。
それは、私からしたら、私のためでもなんでもなく。家の為に、私を犠牲にしろと言われているとしか思えなかった。
そして、もうすぐ亡くなるかもしれない、という余命いくばくもない、入院中の父の付き添いをしていた時、急に2人で来て。
唐突に「よかったね。兄さん!きゃらが婿とってくれて、あの家を継いでくれるんだって!安心だねぇ」と、そんな嘘を言われ。
もうすぐ死ぬかもしれない父に、私はどうすれば良かったのか。
信じられなかった。なにも言えなかった。
宗教って人を変えるんだな~って。すごく思った。
私の宗教嫌いは、ここから来ている。
大好きな叔父さんが、大嫌いになった。
目的のためには、自分の気持ちのためには、私の気持ちなんてどうでもいいのかと。私の人生なんて、どうでもいいのかと。
あれほどに優しかった、思いやりのあった叔父が。
悲しくて、悲しくて。
いつも、あの家では泣かなかった私が、大泣きした。
でも私はやっぱり、あの家の婿は取れなくて。
育ててくれた母も一人にしてしまった。
今回のこの相続の話しで、もしも本当に、その叔父の息子が関わっていたとしたら。
関わっているか、真偽のほどは不明だけれど。
けれど、普通なら、一般の司法書士がこんなリスクを負って、違法なことはしないと思うので、かなり確率は高いと思う。
宗教にハマってから、「悪かったな。悪かったな。お前が一番かわいそうやった。何もしてやれなくて、本当に悪かったな」と、泣いて。
叔父はいつも、私の顔を見るたびに謝って。
それでも、家を継がなかったけれど、結婚式に出席してくれた時には「幸せになってな。お前だけは幸せになれよ」と言ってくれた叔父が、今回の相続の、私の放棄に関わるようなことに、それも宗教のために関わっていたとしたら。
元公務員で、年金生活だった、人のいい母に、「この家がよくなる為だから」と、何度もお布施を出させ、さらには母に何百万という借金のあった叔父が、母の亡くなった後、姉達から厳しくつつかれて、毎月の返済を迫られ、それがかなり滞っているという話しだから、自己保身のために、司法書士の息子が、姉①に言われて、なにかしたとしたら。
本当に、試練だなぁと思った。
叔父までもが、私を利用したことになる。
姉も、叔父も、甥っ子も...。
自分のことしか考えないのね
私と縁を切ると決めていたなら、私に遺産を渡す必要なんて、どこにもない。
1円たりとも、渡す必要はないもんね。
でもね、
試練が、人を成長させるものだとしたら、
私は恵まれているのね
その試練を乗り越えていなかったから、いつまでもつきまとわれたんだけれど。
ちゃんと、きっちりと乗り越えられたら、本当なら、次から次へと、私は成長して行けたんだよね
今やっと、ひとつの試練を乗り越えたということにして。
一歩踏み出したってところですよね
それに気付いたのは、図らずも、私の54歳の誕生日でした。
新たに生まれ変わって、ここから起きることは、すべてを試練として受け止めて。
ちゃんと1つずつ、乗り越えていこうと思いました
今朝、「サワコの部屋」に、関ジャニの安田が出ていました。
会社の仲良しの同期が、彼のファンなので、私も観てみました。
彼は、とても大きな脳腫瘍ができて、10時間かかるような、摘出手術をして、頭に大きな傷が残りました。
その時は、ちょうど渋谷が辞めるという時で、辞めることもできず、復帰しました。ファンにも内緒だったそうです。
でも、その後にも、また背骨と腰を骨折して。もう、活動はムリだろう。引退しようかって思ったぐらいのケガでした。
だけど彼は強くて。この時には、ちょうど錦戸が辞める時だったから、残ったんです。仲間のためにも。
でも、すごくお世話になったジャニーさんが亡くなって。安田には、芸能界には未練はなくて。なので、もしジャニーズを辞める時は、芸能界を辞める時で。
残ったけど、それまでとは違う安田になろうと思ったそうで。
「トイレに行く安田」。
これは、ばんたんくん達にも共通するなぁと、とても思いました。
彼らは、トイレに行くアーティストですよね。
あんなに、ビジュアルも、世界一が2人もいて、ステージでは輝きまくって、でも、普通に歯磨きしたり、トイレに行ったりを見せてくれる。
まあ、日本と韓国は違うのかもしれないけれど。
あ
安田の話し。
優しくて強い彼は、入所してすぐくらいに、ジャニーさんに 「youは器用貧乏だね」と言われ、それがすごくショックだったそうで。
確かにそうなんだけど。「じゃあ、その器用貧乏という言葉を、どうしたら器用貧乏じゃなくなるんかって考えた時、1つずつを突き詰めていったら、それは貧乏じゃなくなるんじゃないかって思った」と言いました。
本当に、そうだなぁって。
私も器用貧乏で、なんとなく、なんでもある程度は、けっこう簡単にできてしまうんだけれど、突き詰めることができなくて
全てが中途半端で。
だから、これからは、ちゃんと、彼が言ってた、阿川佐和子が言った言葉を借りて、「器用リッチ」になろうって思いました
この2人にはまた、考え方に共通点があって。
安田は、死の危険を乗り越えた。
阿川佐和子は、認知症の母を看取った。
そこで思ったこと。
「明日や昨日のことを考える必要はない。今だけを考える。そうすると、大きなことなんて、なにもなくて。小さなことの積み重ねの毎日になる。そしたら、小さな幸せだけをつなぎ合わせて生きるだけ」だと。
そうかぁ。波乱万丈なんて言っても、その日の、その瞬間だけなら、そんなに大したことなんてないのかもしれない。
ちっぽけな私の、ちっぽけな毎日の、ちっぽけな今なんて、全然大したことではないなぁ
なんて思ったら、なんだか「今だけ」をつないで生きていくの、悪くないなぁと思いました。
今日、起きてから、コメント返信書きますね
皆さんのところにも、立ち寄ります~
※写真、Twitter、動画、お借りしました。
ありがとうございます。